FEB/1997/Page-A-j
97年1月27日、午後。確か20・30年前だったろうか、その当時好きだった写真家・森山大道が放った(昔からみんな使う)言葉の中に、「写真は時間と光の化石だ」というのがあった。時間と光。20数年たった今でも僕は時間と光が好きです。時間も光も永遠に続いている、ように見える。〜これも古い話だが、コルトレーンの演奏もシーツ・オブ・サウンドで音が切れそうで切れない状態が続いていた。(切れていたのかもしれないが)〜 要するにつぎからつぎへ絶え間なく押し寄せて来るもの、しかも僕の力ではどうすることも出来ない。光はとりあえず遮ればいいじゃないかとおっしゃいますが根本的に暗黒には出来ないし、時間に関してはもうお手上げ、人生まだあるよ〜、なんて嘘ぶく事は出来ますが。この写真はとりあえず、僕の自宅の愛用椅子です。人類の単位によると、14960万KMかなたから8.3分をかけて飛んできた粒子が椅子に跳ねて、四方に散っている様子を表現した絵です。500分の1秒程度のシャッタースピードで時間を化石化しようと試みた僕はいったいどこでシャッターを切っていいのかわからず、しばらくチャンスという言葉の意味を考えるふりをしていたら、娘が出てきて椅子に座ろうとしたので、あわててシャッターを切ったのを覚えている。 500分の1秒といえども、光の粒子は絶対にブレていなければいけない。そうでなければ地球上、いやこの太陽系、宇宙全体の原則が根こそぎくつがえる事になる。(願望あり) 同じ光の粒子は、インターネットの大海原へと僕を導く僕の電話線を左上にかいま見る床と、愛妻のお父さんが住む団地にも長い時間ふり注いでいた。基本的に光は綺麗だよね。

